実家の片付け・番外編『実家退居と叶わなかった一時帰宅』
こんにちは、たき子です。
実家の片付けの続きというか番外編です。
1週間前の即位礼正殿の儀の日、実家の賃貸住宅を完全退居してきました。
母が骨折したのは8月初旬。
もう一人暮らしはできないからとグループホームへの入居を決めたのが8月下旬でした。
8月下旬から退居まで約2ヶ月。
当初は9月末にしようと思っていた退居時期をなぜここまで伸ばしたのかというと、グループホームへ入る前に一度家に帰らせてあげたかったからなのですよね。
一時帰宅2日前に再入院
最初に骨折した時は自宅。
立てないと訴えまずは近所の外科でレントゲン。
CTを撮ったほうがよいだろうとの事で大きな病院へ行くとそのまま入院になりました。
そのまま家に戻れないことになるとは母自身全く考えてなかったはず。
9月初旬に退院し、グループホームの空き待ちのためいったんショートステイへ移りましたが、実はその週末に一時帰宅する予定だったんです。
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ケーキを買って退院祝いしようと息子と話していたのですが、一時帰宅2日前に再び骨折し病院へリターン。
再び退院するまで一時帰宅は延期することになりました。
病院で止められた
だけど、退居日をひと月遅らせたにもかかわらず一時帰宅は叶いませんでした。
2度目の退院説明を受けたとき、リハビリ担当の先生から一時帰宅はおすすめできないって言われてしまったんです。
一度目の退院をした時は、まだ手を引けば歩けていました。
今度も大丈夫だろうと思っていたのですがそれは大きな間違いだったみたい。
股関節にインプラントが入っているわけですが、片方と両方では退院後の生活が全然違ってくると知らされました。
立つことはできても一人で歩くのは難しいし、深くしゃがんだり無理な体制をすると脱臼しやすということでした。
実家にはもちろん介護ベッドもないし車椅子のままトイレにも行けないし、もし転倒したらと思うと、たとえ一晩とはいえリスクが大きすぎて諦めざるを得ませんでした。
必然だったのかも
帰れなかった事は切ないけど、それも母の運命だったのでしょう。
「もっと早く一時帰宅していれば」
とか、
「2度目の骨折までせめて後2日待ってくれれば」
とか考えなくはないけれど、仮に一時帰宅できていたとして、その直後に骨折していたとしたら、きっと因果関係を考えてしまっていたでしょう。
ちゃんとサポートできなかったから骨折したのではないかと自分を責める事になっていたかもしれません。
そんなふうに考えると、一時帰宅できなかったことは必然なのではないかと思えてもくるのです。
(事実、2度目の退院後3週間目の先週末、グループホームで転倒し3度目の骨折&入院しました)
当たり前の日常が大事だと思った
ちなみに、ショートステイに行く前にいったん自宅に荷物を取りに寄った時、
「これでこの部屋ともお別れやね」
と言っていたので母の中では一応気持の区切りはできていたのかもしれません。
思えば父が他界した時も、検査入院からの入院となり数ヶ月後そのまま帰らぬ人となりました。
父はお正月に一時帰宅できたのですが、当時住んでいたのがエレベーターの無い団地の3階だったので、介護者がおんぶして上がるのが大変で父本人も懲りて病院から外泊したいとは言わなくなりました。
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そんな両親の姿はたき子のにとって教訓です。
人間いつどうなるかわからないと覚悟をもってして過ごしたいなあって思うんです。
それは病気ではなく自然災害でも火事でも同じことなのでしょう。
つい先日も大雨で家や田畑が水没し、突然日常を奪われた方がたくさんいらっしゃいます。
当たり前の日常はいつ終わるかわからない。
今日かもしれない。
ありきたりだけど、平穏に過ごせる毎日に感謝したいと思いました。
『おもかげ色の空』と共に
そんな風に迎えた退居。
たき子が育った家ではありませんが、息子は小さい頃入り浸りだったし、団地内の空き地では毎日息子と野球ごっこして遊んでいた思い出の場所です↓↓
空っぽの部屋はやけに声が響くんですね。
最後のゴミを捨て、掃除機だけを抱えて退室。
この日のたき子の脳内テーマソングは『おもかげ色の空』です。
ご存知の方おられます〜?
かぐや姫がライブのラストで必ず歌っていた曲なんですよね。
晴天に金木犀
正殿の儀の執り行われた日、東京は降りしきる雨でしたが大阪は晴天でした。
こういう時の空の青さはなぜ沁みるんだろう!
折しも金木犀の香りが充満し和ませてくれました。
この先、金木犀の香りと共にこの日のほろ苦い経験を思い出すことになるのかもしれません。
。。。なーんて、たき子の事だから案外コロッと忘れてるかもだけど!
どちらかと言えば、
「金木犀の花を鼻の穴いっぱいに詰めたい〜♡」
とはしゃいでいた幼い頃の息子の笑顔のほうをいつまでも覚えていたいと思います(ノ´∀`*)
この他の「実家の片付け」の続きはこちら
【①不用品の山の仕分け編】
【②着物売るならバイセル?編】
【③初めてのメルカリ】
【④不用品回収詰め放題ってどうなの?】
【⑤粗大&普通&リサイクルごみを出す】
【追記・家じまいで○○発見!?】
実家の片付けの続きというか番外編です。
1週間前の即位礼正殿の儀の日、実家の賃貸住宅を完全退居してきました。

母が骨折したのは8月初旬。
もう一人暮らしはできないからとグループホームへの入居を決めたのが8月下旬でした。
8月下旬から退居まで約2ヶ月。
当初は9月末にしようと思っていた退居時期をなぜここまで伸ばしたのかというと、グループホームへ入る前に一度家に帰らせてあげたかったからなのですよね。
一時帰宅2日前に再入院
最初に骨折した時は自宅。
立てないと訴えまずは近所の外科でレントゲン。
CTを撮ったほうがよいだろうとの事で大きな病院へ行くとそのまま入院になりました。
そのまま家に戻れないことになるとは母自身全く考えてなかったはず。
9月初旬に退院し、グループホームの空き待ちのためいったんショートステイへ移りましたが、実はその週末に一時帰宅する予定だったんです。
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ケーキを買って退院祝いしようと息子と話していたのですが、一時帰宅2日前に再び骨折し病院へリターン。
再び退院するまで一時帰宅は延期することになりました。
病院で止められた
だけど、退居日をひと月遅らせたにもかかわらず一時帰宅は叶いませんでした。
2度目の退院説明を受けたとき、リハビリ担当の先生から一時帰宅はおすすめできないって言われてしまったんです。
一度目の退院をした時は、まだ手を引けば歩けていました。
今度も大丈夫だろうと思っていたのですがそれは大きな間違いだったみたい。

股関節にインプラントが入っているわけですが、片方と両方では退院後の生活が全然違ってくると知らされました。
立つことはできても一人で歩くのは難しいし、深くしゃがんだり無理な体制をすると脱臼しやすということでした。
実家にはもちろん介護ベッドもないし車椅子のままトイレにも行けないし、もし転倒したらと思うと、たとえ一晩とはいえリスクが大きすぎて諦めざるを得ませんでした。
必然だったのかも
帰れなかった事は切ないけど、それも母の運命だったのでしょう。
「もっと早く一時帰宅していれば」
とか、
「2度目の骨折までせめて後2日待ってくれれば」
とか考えなくはないけれど、仮に一時帰宅できていたとして、その直後に骨折していたとしたら、きっと因果関係を考えてしまっていたでしょう。
ちゃんとサポートできなかったから骨折したのではないかと自分を責める事になっていたかもしれません。
そんなふうに考えると、一時帰宅できなかったことは必然なのではないかと思えてもくるのです。
(事実、2度目の退院後3週間目の先週末、グループホームで転倒し3度目の骨折&入院しました)
当たり前の日常が大事だと思った
ちなみに、ショートステイに行く前にいったん自宅に荷物を取りに寄った時、
「これでこの部屋ともお別れやね」
と言っていたので母の中では一応気持の区切りはできていたのかもしれません。
思えば父が他界した時も、検査入院からの入院となり数ヶ月後そのまま帰らぬ人となりました。
父はお正月に一時帰宅できたのですが、当時住んでいたのがエレベーターの無い団地の3階だったので、介護者がおんぶして上がるのが大変で父本人も懲りて病院から外泊したいとは言わなくなりました。
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そんな両親の姿はたき子のにとって教訓です。
人間いつどうなるかわからないと覚悟をもってして過ごしたいなあって思うんです。
それは病気ではなく自然災害でも火事でも同じことなのでしょう。
つい先日も大雨で家や田畑が水没し、突然日常を奪われた方がたくさんいらっしゃいます。
当たり前の日常はいつ終わるかわからない。
今日かもしれない。
ありきたりだけど、平穏に過ごせる毎日に感謝したいと思いました。
『おもかげ色の空』と共に
そんな風に迎えた退居。
たき子が育った家ではありませんが、息子は小さい頃入り浸りだったし、団地内の空き地では毎日息子と野球ごっこして遊んでいた思い出の場所です↓↓

空っぽの部屋はやけに声が響くんですね。
最後のゴミを捨て、掃除機だけを抱えて退室。

この日のたき子の脳内テーマソングは『おもかげ色の空』です。
ご存知の方おられます〜?
かぐや姫がライブのラストで必ず歌っていた曲なんですよね。
- ♪部屋の灯り消しながらまた会うその日まで 部屋の灯り消しながらまた会うその日まで♪
晴天に金木犀
正殿の儀の執り行われた日、東京は降りしきる雨でしたが大阪は晴天でした。
こういう時の空の青さはなぜ沁みるんだろう!
折しも金木犀の香りが充満し和ませてくれました。

この先、金木犀の香りと共にこの日のほろ苦い経験を思い出すことになるのかもしれません。
。。。なーんて、たき子の事だから案外コロッと忘れてるかもだけど!
どちらかと言えば、
「金木犀の花を鼻の穴いっぱいに詰めたい〜♡」
とはしゃいでいた幼い頃の息子の笑顔のほうをいつまでも覚えていたいと思います(ノ´∀`*)
この他の「実家の片付け」の続きはこちら
【①不用品の山の仕分け編】
【②着物売るならバイセル?編】
【③初めてのメルカリ】
【④不用品回収詰め放題ってどうなの?】
【⑤粗大&普通&リサイクルごみを出す】
【追記・家じまいで○○発見!?】