七夕と沖縄と素麺と赤星と
沖縄の離島で初めて見た天の川
“天の川は見れそうにないですね”
と、今朝のテレビでお天気キャスターが今夜の予報をしていました。
でも、今年に限らずここ何年も
「今夜は天の川が見れますよ!」
と太鼓判を押してもらった覚えがありません。
梅雨なのだからやむを得ませんが。
でも、たとえ晴れていたとしても、大阪の都会では、天の川はおろか、星さえまともには見えません。
そんな私が、初めて天の川を見たのは沖縄でした。
ちょうど30年前、沖縄の八重山諸島にあるペンションでアルバイトをしていた時の事です。
当時の日給が1000円。
時給ではありません。日給です。
えーっ!?
安っ!
と思われることと思いますが、それが当時の、その島でのアルバイト代の相場でした。
しかも沖縄までの往復の交通費は自己負担。
大阪から沖縄までの交通費を考えると最低2ヶ月位働かないとアルバイト代を捻出できず、下手したら足が出てしまいます。
それでも、沖縄で夏を過ごしたいと考えて、関西や関東からアルバイトにやって来る若者はたくさんいたんです。
それに、アルバイト代は安いけど、3食付きの住み込みなので食費はかからないし、海以外に遊ぶ場所もありません。
コンビニなんて存在していなかった時代なので、買い物といっても地元の商店でたまに泡盛を買うくらいのもので、そもそもお金を使うこともなかったんですよね。
そんな沖縄でのアルバイト仲間との毎日の楽しみが夜、ペンションの屋上にのぼって星を見ることでした。
仕事が終わると毎夜飽きもせず、皆で屋上に寝転んで星をながめていました。
そこで初めて天の川を見たときの感想が、
「あれが天の川? 雲ちゃうの⁉」
でした。
天の川というと、もっとキラキラしているイメージをもっていたため、夜空のぼんやり白い帯が雲にしか見えなかったんですよね。
天の川より、私達が夢中になったのは流れ星を見つけることでした。
満点の夜空をぼんやり眺めていると、一時間に数個の流れ星が見えます。流れ星を見るのも生まれて初めてなら、ナントカ流星群でもなんでもない普通の夜に、星がこんなに流れていくことも、その時初めて知りました。
ついでに、流れ星がいろんな方向に流れるのにも驚きでした。
よく考えると空に上も下もないのですから、いろんな方向に流れて当然なのですが、ドラマでよく見る流れ星は必ず斜め下↘の方向にすーっと流れるのでそんなイメージしかなかったんです。
一時間に何個もあっちこっちへ流れる星。
そんな、実際に見てみないと知らなかった色々な貴重な経験をした夏でした。
氷の器で素麺を食べてみたら…
ところで、七夕には何を食べますか?
お月見の団子とか、節分の鰯とか、端午の節句のちまきのように、七夕には伝統的にこれを食べる、というような行事食はありませんよね。
最近では、天の川に見立てた冷や素麺に星型のオクラをちりばめる、といったメニューが定番となりつつあるくらいでしょうか。
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これも数年前の話になりますが、ホームパーティの際に素麺の器を氷で作ったことがあります。
大きなボウルに水を入れ、そのボウルより一回り小さいボウルを重ねて重しをし、冷凍庫で冷し固めると大きなボウル型の氷の器ができます。
そこに素麺を入れて皆で食べようと考えたのです。
雑誌で見て、涼しそう! インパクトある!
と思ってやってみたのですが、ボウルをそのまま冷凍庫へ入れないといけないものですから、とにかくかさ張るんです。
家庭用の冷凍庫ではタイヘン。
それでも何とか大きな氷のボウルを作る事に成功。
茹でた素麺を入れて水を張って、キュウリの輪切りなんぞ浮かべてみて。
いい調子で食卓を用意していると、
「溶けてきたで」
「えっ!?」
「水漏れそうやで」
「えーっ!!」
溶けないと思っていたわけではありませんが、思ったより溶けるのが早かった。
最初は小さかった亀裂がみるみるうちに大きくなり水がどんどん漏れてきます。
凍らす時間が短かったのか?
氷水を入れれば好かったのか?
その後はもう、氷の器を作ろうなんて思わなかったので正解はわかりません…。
園児の願いは赤星になること
七夕で思い出すのがもう一つ。
息子が3歳の時の事です。
短冊に願い事を書いて、織姫と彦星などを作って吊るした小さな笹を、保育園から持って帰ってきました。
短冊に、字のような物が書きなぐってあります。
「何て書いてあるん?」
と尋ねると、
「“赤星になれますように”って書いてんねん」
4歳にして既に阪神ファンの息子。
一番好きな選手が赤星憲広さんでした。
このころ息子にとって遊びと言えば野球。
毎日毎日野球ごっこで、もちろん夢は野球選手になることです。
「頑張って赤星になりや」
と私が言うと、
「無理かも…」
と神妙な顔で答える息子。
「無理ちゃうよ。
頑張ったらなれるよ!」
頑張れば赤星みたいな野球選手になれる。
そう励ますつもりで言ったのですが、真面目くさった顔で、
「だって、どうやって変身するの?」
そう、彼は比喩ではなく言葉通り“赤星に”なりたかったんです。
可愛い幼児あるあるでした。
“天の川は見れそうにないですね”
と、今朝のテレビでお天気キャスターが今夜の予報をしていました。
でも、今年に限らずここ何年も
「今夜は天の川が見れますよ!」
と太鼓判を押してもらった覚えがありません。
梅雨なのだからやむを得ませんが。
でも、たとえ晴れていたとしても、大阪の都会では、天の川はおろか、星さえまともには見えません。
そんな私が、初めて天の川を見たのは沖縄でした。
ちょうど30年前、沖縄の八重山諸島にあるペンションでアルバイトをしていた時の事です。
当時の日給が1000円。
時給ではありません。日給です。
えーっ!?
安っ!
と思われることと思いますが、それが当時の、その島でのアルバイト代の相場でした。
しかも沖縄までの往復の交通費は自己負担。
大阪から沖縄までの交通費を考えると最低2ヶ月位働かないとアルバイト代を捻出できず、下手したら足が出てしまいます。
それでも、沖縄で夏を過ごしたいと考えて、関西や関東からアルバイトにやって来る若者はたくさんいたんです。
それに、アルバイト代は安いけど、3食付きの住み込みなので食費はかからないし、海以外に遊ぶ場所もありません。
コンビニなんて存在していなかった時代なので、買い物といっても地元の商店でたまに泡盛を買うくらいのもので、そもそもお金を使うこともなかったんですよね。
そんな沖縄でのアルバイト仲間との毎日の楽しみが夜、ペンションの屋上にのぼって星を見ることでした。
仕事が終わると毎夜飽きもせず、皆で屋上に寝転んで星をながめていました。
そこで初めて天の川を見たときの感想が、
「あれが天の川? 雲ちゃうの⁉」
でした。
天の川というと、もっとキラキラしているイメージをもっていたため、夜空のぼんやり白い帯が雲にしか見えなかったんですよね。
天の川より、私達が夢中になったのは流れ星を見つけることでした。
満点の夜空をぼんやり眺めていると、一時間に数個の流れ星が見えます。流れ星を見るのも生まれて初めてなら、ナントカ流星群でもなんでもない普通の夜に、星がこんなに流れていくことも、その時初めて知りました。
ついでに、流れ星がいろんな方向に流れるのにも驚きでした。
よく考えると空に上も下もないのですから、いろんな方向に流れて当然なのですが、ドラマでよく見る流れ星は必ず斜め下↘の方向にすーっと流れるのでそんなイメージしかなかったんです。
一時間に何個もあっちこっちへ流れる星。
そんな、実際に見てみないと知らなかった色々な貴重な経験をした夏でした。
氷の器で素麺を食べてみたら…
ところで、七夕には何を食べますか?
お月見の団子とか、節分の鰯とか、端午の節句のちまきのように、七夕には伝統的にこれを食べる、というような行事食はありませんよね。
最近では、天の川に見立てた冷や素麺に星型のオクラをちりばめる、といったメニューが定番となりつつあるくらいでしょうか。
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これも数年前の話になりますが、ホームパーティの際に素麺の器を氷で作ったことがあります。
大きなボウルに水を入れ、そのボウルより一回り小さいボウルを重ねて重しをし、冷凍庫で冷し固めると大きなボウル型の氷の器ができます。
そこに素麺を入れて皆で食べようと考えたのです。
雑誌で見て、涼しそう! インパクトある!
と思ってやってみたのですが、ボウルをそのまま冷凍庫へ入れないといけないものですから、とにかくかさ張るんです。
家庭用の冷凍庫ではタイヘン。
それでも何とか大きな氷のボウルを作る事に成功。
茹でた素麺を入れて水を張って、キュウリの輪切りなんぞ浮かべてみて。
いい調子で食卓を用意していると、
「溶けてきたで」
「えっ!?」
「水漏れそうやで」
「えーっ!!」
溶けないと思っていたわけではありませんが、思ったより溶けるのが早かった。
最初は小さかった亀裂がみるみるうちに大きくなり水がどんどん漏れてきます。
凍らす時間が短かったのか?
氷水を入れれば好かったのか?
その後はもう、氷の器を作ろうなんて思わなかったので正解はわかりません…。
園児の願いは赤星になること
七夕で思い出すのがもう一つ。
息子が3歳の時の事です。
短冊に願い事を書いて、織姫と彦星などを作って吊るした小さな笹を、保育園から持って帰ってきました。
短冊に、字のような物が書きなぐってあります。
「何て書いてあるん?」
と尋ねると、
「“赤星になれますように”って書いてんねん」
4歳にして既に阪神ファンの息子。
一番好きな選手が赤星憲広さんでした。
このころ息子にとって遊びと言えば野球。
毎日毎日野球ごっこで、もちろん夢は野球選手になることです。
「頑張って赤星になりや」
と私が言うと、
「無理かも…」
と神妙な顔で答える息子。
「無理ちゃうよ。
頑張ったらなれるよ!」
頑張れば赤星みたいな野球選手になれる。
そう励ますつもりで言ったのですが、真面目くさった顔で、
「だって、どうやって変身するの?」
そう、彼は比喩ではなく言葉通り“赤星に”なりたかったんです。
可愛い幼児あるあるでした。