おばちゃんDays

調理師たき子によるオオサカのおばちゃんブログ

やる気のない石垣  大阪城の穴場名所?

知らなかった
地中深くに埋められていた大阪城石垣

こんにちは、たき子です。

大阪生まれの大阪育ちのくせに、大阪城の歴史について、漠然としか知りませんでした。



知っていた事といえば、今の天守閣が豊臣時代に作られたものではないということぐらい。

だから、天守閣は豊臣時代ではないけど、石垣は豊臣時代の物なのだろうと、勝手に思っていたんです。

天守閣のみならず石垣まで徳川時代に再建されたものだと知ったのは、恥ずかしながら昨年大河ドラマ真田丸関連でブラタモリを見た時。

徳川は真田丸も徹底的に破壊し、大阪城の石垣も埋めごろされていた。

大阪城は江戸時代に再建されたが、その事実は忘れ去られて、大阪城の石垣は豊臣時代のものだと近年まで思い込んでいた。

近年の調査でわかった後も、大阪の人がショックを受けると思いその事を隠していた。


・・・隠すって何?
いや、確かにショックだけど。
大阪城のお堀の上でお弁当食べたりしながら眺めていた石垣。
今まで見てたものが偽物だったのかと思うとえ~っと思うけど、隠されるのも嫌やわ~。

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今は豊臣時代の埋めごろされた石垣は一般公開されておらず、見るのは難しいらしいです。

太閤なにわの夢募金という団体が、石垣公開プロジェクトを立ち上げ石垣の公開に向けて動いています。公開が実現するといいですよね。

でも、そこまで立派じゃないけど、豊臣時代の石垣を見ることができるんですよ。

大阪城公園の近くのなんでもない街角に。
それも3箇所も。

大阪城の北西にあたる大手前と呼ばれる場所にひっそりと目立たず、やる気なさげに設置されているんです。



やる気のなさそうな石垣 その①
ドーンセンター北側


3ヶ所のうちではまだ一番やる気を感じるのがここ。

ドーンセンターの入口からみて左手。建物の角を曲がった北側に当たる位置です。

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ずっと、普通の石垣だと思っていました。
よく見ると案内板が。

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「大阪城三の丸の一部をここに移築し、発見されたままの姿に復元したもの」というような内容が書かれています。
そうだったのね。下手したら酔っぱらいが立ちションしそうなほどオーラがないけど…。



やる気のなさそうな石垣 その②
日本経済新聞社の裏側


2番目は、ドーンセンターから細い道を挟んだお向かいさんにある日本経済新聞社の裏側です。

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石垣自体はほとんど植え込みに隠れています。

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斜めから見るとまだ見えます。

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やる気はなさそうだけど、一応ここにも案内板はあります。
「日本経済新聞社の建築工事の際、敷地内地下から発見され移築した」と書かれています。



やる気のなさそうな石垣 その③
追手門小学校の外壁


案内板も何もなく、最もやる気を感じられないのがこれ。追手門小学校の東側の運動場と道を隔てる壁にあります。

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日本経済新聞社の石垣を東に行って右折した右手です。
はっきり言って、知らなければ通りすぎます!
これも三の丸石垣の一部だそうです。


すぐ横の大阪城公園には毎日たくさんの人が訪れ、外国人観光客も日本人観光客も天守閣をめざし歩いているのですが、この石垣に立ち寄り写真を撮る人は見たことがありません。

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大阪城公園の京橋口からもすぐ。
天満橋駅から徒歩5分。
3ヶ所合わせて5分位で回れるので、大阪城に訪れる際はぜひこの石垣群も立ち寄ってみてくださいね~♪