おばちゃんDays

調理師たき子によるオオサカのおばちゃんブログ

小中学生の鞄が重い!大人が正しいとは限らない

慣れますから!?

こんにちは、たき子です。

最近、小中学生の通学鞄が重いと話題になっていますね。

教科書は大きくなり、プリント類は多くなり、重い辞書も何もかも毎日持って帰らなければならない、学校に何一つ置いて帰ることは許されない、という風潮から産み出された状況です。

中学は特に重く、部活がある子は部活の着替えなども持たなければならないので、そりゃもう狂気じみた重さでした。

息子が中学に入学した年、ちょうど中学の通学鞄が新しくなったのですが、兼ねてから要望の多いリュック型ではなく、それまでと同じ肩かけ式でした。



片方の型に負担がかかりすぎるのに、なぜリュック型にならないのかと、入学式で一人の保護者が質問したところ、教頭から帰ってきた答えがこうです。

「ご質問のようなリュック型の要望は以前からあります。でも……慣れますから」

 えっ!それだけ?
 慣れますからって、それだけ?

何の答えにもなってない事を平然と言ってのける面の皮の厚さに唖然。

正面から回答せず適当にはぐらかしてその場をしのぐ政治家の答弁と同じです。


手作り弁当も要望

また、入学式では、給食についての説明もありました。ちょうどその年から大阪市の中学全校で実施されることなったのですが、仕出し弁当式で全員給食ではなく申込み制でした。

仕出し弁当式という点に不安はあったものの、やっと中学でも給食が始まる、弁当作りから開放されると喜んだのも束の間、先ほど鞄の件で回答した同じ教頭が言い放ちました。

「今年度から申込み制で給食が始まりますが、お母さん方、どうか愛情のこもった手作り弁当を作ってあげてください」
 
   
 
 今度は何言い出すんや~この教頭!

「菓子パンを持たせる家庭もありますが、それでは成長期の栄養が足りません」

 だから、給食導入でしょ?
 それが、作ってあげてだと?
 意味がわからない!

「私も、3人の子どもの給食をつくってきました」

 …だから?
 アナタがそうしてきたから
 私たちもそうすべきだと?

鞄に次いで再び唖然。
もう、口開きっぱなしでしたわ。

回りの母達はざわつき、やがてため息があちこちから聞こえるしまつ。

「結局、給食あっても申込まれへんやん」
「お弁当もたせろってことやね」

と、ひそひそ声で囁きあいます。

そりゃ、あんな脅迫じみた言い方されれば、作らないと、と思ってしまうのも無理ありません。

給食を申し込むのは、私みたいな人の目を気にしない図太い母ぐらいなもんです。

実際、教頭の発言のせいだけではないかもしれませんが、給食を申し込んでいる家庭はクラスに数人でした。
 
   
 
鞄については如何ともしようがありませんでしたが、お弁当については意地でも作らず、3年間給食で通しました。


教師や大人が正しいとは限らない

そんなボンクラな……いや、言葉が過ぎました。

そんな頭カチカチの教頭のいる学校へ3年間も子どもを通わせないといけないかと思うと、絶望的な気持ちになった入学式を思い出しました。

 たかが鞄、たかが給食
 されど鞄、されど給食

本質は、子どもや親に対する教師の姿勢の問題なんだよなあ。

教師だからって必ずしも正しいわけじゃない。
教師や大人の言うことを盲目的に聞く必要はない。

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極端な例になるかもしれませんが、東北地震の際に、学校の言うことを聞いて公邸に待機していた大川小学校の児童や、韓国のセウォル号で船内に留まるようにとの指示に従って命を落とした学生達。

あの事件以来、息子には、もしも命がかかるような重大な場面に出くわしたら、誰の言うことも聞かず自分を信じて動くよう伝えています。

愚かな大人のために死なれてはたまりません。

“これまでこうしてきたから”
“皆がそう言うから”
“上の(立場の)人の指示だから”

そんな風に何も考えず動くのは楽かもしれないけど、生きてんだから頭使ってなんぼ!

…だと思うんですけどね~。

そんなんだから、自分が一番正しいと思って仕切ろうとする人から煙たがられるんですね、きっと(笑)。


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