おばちゃんDays

調理師たき子によるオオサカのおばちゃんブログ

♦転職DAYS♦ シングルマザーの転職奮闘記 ③

学校給食調理員の壁

こんにちは、たき子です。

シングルマザーの転職奮闘記③の続きです。


イタリアンレストランで働き、
調理師免許を取得したものの、学校給食調理員として働くためには越えなければならないハードルがありました。

「募集が少ない」
「朝が早い」


私が調理師免許を取得した当時の大阪ではまだ、学校給食の仕事はそれほど委託化が進んではいませんでした。
つまり給食調理員の多くは公務員だったのです。
民間の募集は少ししかありませんでした。

そして、今でこそ8時スタートの現場も数多く募集していますが、その頃の多くの現場では、就業開始時間が7時、遅い現場でも7時30分スタートだったのです。

出勤してからも白衣に着替えたり、手洗いしたりの準備があるため、実際には20~30分前には現場に入る必要があります。

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息子はまだ未修学児で保育園は朝7時以降の登園でした。
7時と言っても、7時に保育園に送り届けて即、仕事に向かえるわけではありません。

保育園でも幼稚園でも同じだと思いますが、登園したら着替えやお昼寝布団をロッカーにしまい、連絡帳を提出し、体温を計って記入し…。
やることがたくさんあります。

さらに、すぐにバイバイできればいいのですが、

「おかあさ~ん、おがあさ~ん、
 行かんといて~」


と大泣きされて、なかなか園を立ち去れないことも日常茶飯事です。

7時スタートの現場では全く間に合いません。
どんなに近い現場であっても、ぎりぎり7時30分に滑り込めるのが精一杯です。

いずれは小学校に入学するのですが、そうなるとかえって早い出勤はしづらくなります。
息子の通う予定の小学校では、8時10分より早く登校することは禁じられていたのです。

我が家は息子との二人暮らしです。
幼い子を一人で留守番させる勇気はなく、早朝出勤の仕事は実質的には不可能でした。

「できる状態になるまで待とう」

そう決め、学校給食調理員以外の仕事を探す事にしたのです。



調理以外の仕事を探す

それまで働いていたイタリアンレストランの仕事は楽しかったのですが、困った事もありました。
調理の仕事には避けられない事ですが、手荒れが酷かったのです。

ピザ生地を扱うため小麦粉が手につきます。
それを洗い流すため日に何度も手を洗っていたため、両手はひび割れだらけになっていました。

調理師免許は取得したし、学校給食で働けないのなら当面は調理の仕事はやめておこう。

理想的なのは、調理以外での学校の仕事です。
学校事務、もしくは学校購買部を希望して求人を探しましたが、募集が少なく新聞の折り込みチラシでは見つかりません。



ハローワーク通い


ハローワークに通うことにしました。
ハローワークも、今はインターネットで手軽に検索できますが、当時はまだスマホもなく、パソコンも持っていなかったため、定期的に通って探すしかありませんでした。




近いハローワークでも自転車で30分、遠い所では電車や自転車で1時間ほどかけてハローワークに行っても、必ずしも希望の求人が見つかるとは限りません。
幾度となく通い、ようやく一つの求人を見つけました。

それは、某大学の目の前にある店舗でした。
食堂やコンビニの他、教科書の販売や旅行代理店業務など総合的に学生をサポートする仕事です。
直接、学内で働くわけではありませんが、大学の休みに合わせての勤務で夏休みがありました。



待望の夏休みのある仕事。しかし…


ようやく、かねてからの希望だった夏休みのある仕事に就いたのですが、またまた壁に突き当たります。

夏休みがあるのはいいのですが、大学に合わせての営業なので夏休み以外の休みも多くあります。
私は大学に通ったことがないので、そのあたりも無知でした。
大学って、本当に休みが多いんですね。

さらに就業時間も短すぎました。
繁忙期以外は11時出勤の2時退社という日も多く、お小遣い程度の収入にしかならないのです。

しかも、お給料は最低賃金で有給もなく、社会保険もありませんでした。

それまで社会保険のある職場でしか働いたことのない私は、社会保険に入れないという事がどういう事か、わかっていませんでした。

ホンマにアホでした。

年金も健康保険も、社会保険なら会社が半分負担してくれ、年金は将来受け取れる額も多い。

そんな常識を知らなかったのです。

いえ、知識としては知ってたのですが、実際にこんなに違うとはわかってなかったのです。



国民年金免除を申請


ただでさえ少ない給料で勤務時間も短く休みは多い。健康保険も国民年金も全て自己負担。
生活をぎりぎりまで切り詰める日々で乗り切ろうとしました。

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お昼は毎日家から持っていくオニギリ2個だけ。
食堂部門の同僚が「たまには食堂で食べたら?ウドンなら安いやん」と声をかけてくれましたが一度も食べることはありませんでした。
ウドン代260円すら惜しかったのです。

国民年金も免除申請をしました。

最初のうちは半額免除でしたが、やがてそれも負担になり全額免除にせざるを得ませんでした。
半額免除の期間は、将来受け取れる年金が2/3になります(平成21年4月からは6/8)。
全額免除では受給額はさらに減り、1/3です
(平成21年4月からは1/2)。



ケーキ工場で副業


長期休みは夏休みだけではありません。2月に入ると丸々1ヶ月もの休みに突入します。
まとまった休みがあると副業は探しやすく、求人雑誌で見つけたケーキ工場でアルバイトをすることにしました。

一日8時間、ベルトコンベアで流れてくるケーキを仕上げてゆくのです。
ケーキの種類は毎日変わり、作業も毎朝主任に命じられたポジションを終日担当します。
ある日は一日中パンプキンシードのトッピング、ある日はモンブランのクリーム絞り、またある日はティラミスの蓋をはめる、といった具合です。

どこかで誰かがもたつくとベルトコンベアのケーキが渋滞しラインが止まるので、とにかく手早く作業しないといけません。
そうして出来たケーキは冷凍され、喫茶店などに納品されるのです。


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甘い見通し
たちまち生活苦で転職を決意


そんなふうに副業をしながらでも低収入を乗り切ろうと思いましたが、やはり少なすぎる収入に、気持ちは暗くなるばかりです。
一年間は頑張りましたが、やはりこのままやったらアカンやろと、仕事をしながら再びハローワークに通い始めました。

この当時の貧困については、自分の目論見の甘さだと認めざるをえません。
しかも、その理由が夏休みのある仕事にこだわったからなのですから、自業自得というか、何を甘いこと考えてんねん、と言われれば返す言葉もありません。

甘いと罵られようが、誰に何と思われようが、夏休みは死守したかった。

これがあるから頑張れるというものが皆あって、それは人それぞれ違ってて。
素敵な家に住むのがモチベーションになる人、服を買うのがモチベーションになる人、さまざまですよね。

私は、家も服もそんなにこだわらない。
車も持ってないし、家にはパソコンどころか固定電話もない。
欲しいのは毎日の、息子と遊ぶ少しの時間のゆとり、そして夏休みだったのです。

そのわがままな野望を叶えるための、さらなる転職物語はもう少し、いえ、まだかなり続きます。
リストラや雇いどめといった、「ザ・転職」の本番?もこれからですので、もう少しお付き合いいただければ幸いです。


『シングルマザーの転職奮闘記』④へ続く

④『学校購買』雇い止め→『オフィス街のお洒落なオフィス』でのパワハラ


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①出産後最初の仕事『和食チェーン店』で突然の時短勤務通達

②『ピザ職人』で調理師免許取るも店舗閉店

⑤『地元メーカー』『個人経営レストラン』2ヶ月連続リストラ

⑥『保育園給食室』→念願の『小学校給食室』