♦転職DAYS♦ シングルマザーの転職奮闘記 ⑤
こんにちは、たき子です。
シングルマザーの転職奮闘記④の続きです。
地元のメーカーに入社
パワハラから逃れた私が次に就職したのは地元の中規模メーカーでした。
家から徒歩5分で9時5時土日休みの入力事務のパートです。
面接では社長自ら部屋に来て、
「はっきり言ってウチは勝ち組です!」
「海外進出も順調で登り調子です!」
とさんざん自慢していました。
しかし、その中身はと言うと、お粗末な体質だと言わざるをえませんでした。
国内外の工場に商品の製造依頼や部品の手配をかけるのが主な仕事なのですが、そのためには営業担当者と密に連絡を取る必要があります。
私達のオフィスは2階で、1階には営業担当者がいるのですが、一度も紹介してもらったことはありません。
“社内の連絡はパソコンのメールで行う”
それが理由でした。
連絡を形として残せるメールで行うのはいいとして、同じ建屋にいて、しょっちゅうメールしているのに顔も知らない。
入社早々ものすごく違和感を感じたのを覚えています。
たった1メートルしか離れていない場所で仕事をさしている社員さんから
「大至急」
とメールが来たこともあります。
大至急なら何故まず口頭で伝えないのか、
それがメール時代の仕事のやり方なのか。
私が古いのだろうかと困惑しながらも、郷に入れば郷に従え、と自分に言い聞かせていました。
少なくとも、前の会社のようなパワハラはない、ようやく腰を据えて働けるのだと思っていました。
ところが、そんな状況が一転する事態がおこりました。
突然のリストラ
入社してから8か月ほど経ったある日、パートがひとりずつ別室に呼ばれました。
業績悪化で工場を閉鎖すると言うのです。
私達パートの仕事もなくなり解雇を言い渡されました。
新年早々の事でした。
今放送されているドラマ「カルテット」での松たか子の
「人生には3つの坂がある。登り坂、下り坂、そして、まさか」
の名台詞がありますが、この時の心境がまさにそれでした。
新しい年が始まってまだ間もないのに、まさかのリストラ。
私は勤続1年も経っていませんでしたが、なかには、長年働いているベテランのパートさんも大勢います。
8か月前に社長が
「勝ち組です」
とぶちあげたのは何やったんや!
その直前の年末にリーマンショックが起こり、仕事が激減したという事情はわかります。
しかし、たいした企業努力もせずパートの首切りでしのごうとする、その身勝手さにハラワタが煮えくり返る思いでした。
年末社員のボーナスを満額出していることを追求すると、
「いや、その、それは組合で決まってることだから」
と、ゴニョゴニョ言葉を濁します。
「決まってることやから? それを何とかするのが経営者ってもんじゃないんですか!」
「はっきりいってここの社員も会社も最低ですよ。何で私らがこんなボンクラな社員の尻拭いせなアカンのですか!」
思いの丈をぶつけましたが、所詮は負け犬の遠吠え、虚しいものです。
でも、言うことだけは言っておかないと我慢ならなかったのです。
地元なので、今でもその会社の前を通る度に、その時の怒りを思い出してしまいます。
早くつぶれればいいのに、なかなかつぶれないのでがっかりです。
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飲食の仕事に戻る
リストラにあい、やはり調理師の資格を活かした飲食の仕事に戻ろうと決めました。
どうせ飲食の仕事をするなら技術を身に付けたい。そう考え、チェーン店ではなく個人の店で求人を探しました。
オフィス街に古くからある洋食屋の求人広告が目に止まりました。
オフィス街なので土日は休みなのも都合が良く、面接を受け採用されました。

オフィス街のビル内の店舗なので、ランチタイムが主のお店です。
お弁当も作って売っており、お弁当詰め、ランチのサポート、翌日の仕込みなどを担当しました。
私ともう一人、20代の男性が同時に採用されました。
さほど広くもない店舗に何人も人が必要なのか不思議に思いながらも、ランチタイムはそれなりに忙しく、それなりにやることもあり仕事に慣れてきた矢先に、温和なオーナーシェフから呼ばれました。
まさかの2か月連続のリストラ
リーマンショックの影響が出てきて、お客さんの数が激減したから申し訳ないけど辞めてほしい。
まさかのリストラでした。しかも2か月連続の。
まさかの坂は一つだけではなかったのです。
確かに売上は落ちているようだけど、なぜそれを見越して人を雇わなかったのか。
もしかすると元々必要なのは一人で、どちらかがすぐに辞めるだろうと思い二人を雇ったのかもしれません。
一緒に入った男性調理師より私のほうが仕事ができる、その自負はあったので、男性調理師に自分が勝ったと思われるのかと思うと、悔しさで血管の5、60本も切れそうでした。
その男性調理師のほうが使いやすかったのだと思います。
そりゃあ、40代半ばのオバサンより若い男のほうが、力仕事を頼みやすいし、将来性もあります。
料理の技術を覚えたくて選んだ店だったのですが、実際に働きはじめてみると、身につけるべき技術は何もなく、格安の冷凍輸入肉を使ったメニューばかりで、そういう意味では未練はありませんでした。
細い海老にたくさんのパン粉をつけて、いかに大きなエビフライに見せるか。覚えたのはそんな技術だけでした。
給料はもちろん最低賃金で、社会保険はおろか有休もなし。
早い段階で辞めることになったのは、結果的に良かったのだと思います。
ただ、悔しかった。
そして、さすがに2か月連続となるリストラに、気持ちは最悪の状態にまで落ち込んだのはいうまでもありませんでした。
けど、それから少し後に偶然梅田の雑踏で、残された男性調理師を見かけたことがあります。
ウイークデーの午前中、その店に勤めていたら見かけるはずのない時間でした。
その男性調理師もまた、自ら辞めたか辞めさせられたかはわかりませんが、あれからすぐにその店を後にしたのだと思います。
そして私は、またもや新たな転職DAYSを過ごさなければならなくなったのです。
『シングルマザーの転職奮闘記』⑥へ続く
【⑥『保育園給食室』→念願の『小学校給食室』】
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