夏の和菓子は塩が安い♦味覚は文化
夏の和菓子は塩が安い
こんにちは、たき子です。
唐突ですが、
「塩が安い」
という言い回しを耳にしたことがあるでしょうか?
物理的な価格の安さのことではありません。
塩辛い料理のことを私の親はそう表現していました。
塩辛い=塩をたくさん使っている=塩が安いからたくさん使える
のだそうです。
逆に「塩が高い」はあまり聞かなかったかも。
この理屈で言うと、塩が高い=塩が足りない、となるのでしょうけど。
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いつもの和菓子屋さん、大阪市城東区今福にある「城崎屋」で先日買った和菓子。
といっても、思えば夏にこのお店を利用したことはありませんでした。
【城崎屋の記事はこちら】
水羊羹とくず桜です。
冷たい緑茶と共にいただきました。
上品なアンコと寒天で、夏に一度は食べておきたい水羊羹と、プルンとした食感が魅力的なくず桜。
いつも通り美味しく、そして、いつもとは決定的な違いがありました。それが、
“塩が安い”
春や秋に買う和菓子よりも、若干ですが塩が安い”味でした。
汗をかく季節なので、塩分を多目にしているんでしょう。
暑い季節ならではの和菓子もいいもんですね。
失われてゆく昔の言い回し
こういった昔の言い回しは徐々に減ってきていますよね。
私が日常的に使う言葉の中で、あまり人に通じないものがあります。
それが「(お)てしょう」。
「(お)てしょう」とは、小皿のことです。
取り皿として使われたり、漬け物をちょこっと乗せたりするあれです。
「お手塩(おてしお)」が「おてしょう」になったそうですが、この言葉が家族以外に通じた試しがありません。
私にとって「てしょう」は、自分では使うけど人は使わない言葉ですが、それとは逆に自分では使いはしないけど意味はわかる言葉もあります。
それでまず思い浮かぶのが「かしわ」。
鶏肉のことを「かしわ」と呼ぶ人は、現在わたしの回りでは友人一人だけです。
友人が「かしわ」と言うのを聞く度に、同じように「かしわ」と呼んでいた親戚の叔母さん達を思い出します。
鶏肉を「かしわ」と呼ぶ由来はさまざな説があるようですが、叔母さん達は、
「大阪では、鶏なんてもんは肉ちゃうからな。あれは肉やなくて“かしわ”や」
などど言い合っていました。
大阪で肉といえば牛肉で、鶏や豚は肉ではないのだと。
ずいぶん乱暴な言い種ですが、そこに叔母さん達の、大阪のプライドみたいなものがあったんですね。
食の都 大阪のプライド
関ヶ原の戦いで破れて以来の根強い敵対心の現れ、といえば大袈裟かもしれませんが、確かに特に食に関しては、大阪は東京をはじめ他県には負けへん、というプライドがあると思います。
私自身、大阪の食に対するプライドはもちろんあります。
東京でかけうどんを食べようとは思いません。
ただ、育ってきた土地、それに対する愛着、慣れ親しんだ味は否定したくないなと思っています。
他文化を否定したくない
自分自身への自戒を込めて
味覚の要素には甘味、塩味、酸味、苦味、辛味、旨味などがあって、その組み合わせや歯ごたえなどの食感で美味しさが決まるのだと言われます。
けど、私は常日頃から『美味しい味』というものにもう一つ絶対的な要素があると思ってきました。
それが『懐かしい味』です。
人からみれば何これ?と思うような味でも、たまらなく懐かしく食べたくなる味。
そんな、長年の、体に染み付いた味は何にも勝ると思うんです。
味を否定するのは文化を否定することにもつながりますし、文化を否定されればいい気はしませんよね。
だから、自分では美味しいとは思わないものでもあえて否定はしたくないんです。
今日はちょっと、優等生的な発言になってしまいました。
断っておきますが、私は別にいい人ではありません(笑)。
協調性はないし、すぐに毒を吐くし、嫌いな人もいっぱいいます。
だから友達は少なくて、このまま年老いて淋しい老後を過ごすのは嫌だから今のうちにネットワークを広げたいと思って生活しています。
だから、私が、誰かの大切な味(文化)を否定したくないと思っているのは、うっかりすると糞味噌にけなしてしまいそうな自分を知っているがゆえの自戒といえるかもしれません。
気を付けよう。
ほんま、これ以上友達減らさんように…。