亡き父がもう一度食べたかった『がんぞう』と、一緒に行きたかった『焼鳥屋』
こんにちは、たき子です。
今日は父の命日。
何年経ったっけ。。。と考えて、わーお!
ちょうど20年やんって気づきました~。
ということは、21回忌なの?
もしかして。
いや、違うな~。
普通法要を行うのは23回忌よね!
まあ、21回忌にせよ23回忌にせよ、うちはもともと法事系をおろそかにする家なのでどちらでもいいのですけどね~。
13回忌の時も母が、
「よう知らん坊さんにお経唱えてもらっても、有り難くも何ともない」
と言うので、法事はせずお墓参りをしただけですませています。
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そんな風に形式的な事を重要視しない父母に育てられた私も、やはり形式的な事は平気でスルーする奴に育ちました。
今日の父の命日も、こうして思い出す事だけしかしないんだな~w
…ということで、ここは一つ、父の好物の『がんぞう』の食べ方でもご紹介したいと思います。
『がんぞう』は
食べる前にシバキ倒す
ご記憶の方もいらっしゃるでしょうか?
去年の11月、北野天満宮に行った帰り衝動買いした干物のことを。
【京都で干物を買って帰った時の記事はこちら】
スルメやらウルメやらと共に、電車の中で臭うん気にしながら持って帰ってきた中に『がんぞう』もあったのですね~♪
『がんぞう』とは、デビラカレイの干物のこと。
あぶって食べるのですが、あぶる前にひと仕事しないといけないんですよ~。
トンカチで全体をしっかりシバキたおす!
こうすると、背骨も全部食べられるんですよね~♪
ご近所に気をつかいながら
シバキ倒す
マンションなので、音が響かないようクッションの上にレンガを乗せて、その上に布を置いてシバキました。
本当は外に出てマンションの敷地内の公園でトントンできたらいいんですけど、最近管理組合がうるさくて「共有財産内(マンションの敷地内の事)で何してるんだ」と言われかねないですからね~。
なにしろ、見てないようで誰が見てるかもしれないのがご近所ってもんですからw
いや、ホントですよ!
昔実家で団地暮らししてた頃、私が夜遊びして帰ってきたのは、ぜ~んぶ近所の誰かに見られてたそうですからね~。
クワバラクワバラ。。。
そんなわけで、室内なのであまり音を立てられないながらもガシガシしばく!
硬い部分は特に念入りにシバキましょう♪
丁寧に叩けば、最初身が硬くそっくり返っていた『がんぞう』↓↓は、
ふにゃふにゃ!
すっかり骨抜きになっちゃいました↓↓
後は軽く炙るだけ。
オーブントースターで焼くことにしたのですが、気付けばモクモク。。。
ちょっと炙りすぎました(^^;

まあいいや。
身をさいて、醤油をタラリ七味をパラリ。
旨味た~っぷりの身でね、酒のアテにいいんだ~♪
マヨつけても美味しい!
あ、イタタ。。。
歯茎に小さい骨が突き刺さっちゃいました(TT)
叩き残しがあったようです。
こんな事がないよう、しっかりシバキましょう!
遺言?は
「もう一度がんぞう食うぞ」
『がんぞう』はご飯に乗せても最高♥
この『がんぞう飯』が好物の父は、20年前『血球貪食症候群』という症状におかされました。
医者からは余命3カ月を宣告されましたが、私達家族はそれを伝えることはできませんでした。
当時はまだ今のような「告知」は一般的ではなかったのですよね。
呼吸吸入機っていうんでしょうか?
一時期それを喉に装着されて喋れなかった頃、病床で書いた父の言葉が遺されています。
筆談用の画用紙にマジックで
「もう一度がんぞう食うぞ!」
と書いてあるのでした。
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『がんぞう』は、父にとっては故郷の懐かしい料理でした。
『がんぞう』を食べたいと言うのが生きる張りとなっていたのだから、さすがは食いしん坊のたき子の父です( ´∀`)
チリメンジャコも好物
もう一つ父の好物のチリメンジャコ。
たき子一応ダイエット中だから、ぽっちりの量のご飯に、
下品な量のシラスをぶっかけちゃうのだ~♪
美味しっ!
シラスも、そろそろシーズンですね~♪
食べさせてあげたかった焼鳥
ところで、さきほど父が病床で「がんぞう食うぞ」と書き遺した話をさせていただきましたが、実はもう一つ食べたがっていた物がありました。
それが焼き鳥です。
父は子どもの頃、農家で鶏を絞めているのを見て以来、鶏肉が食べられなくなったそうで、父が鶏肉を食べる姿を見たことはありませんでした。
それが入院中どういう心境の変化か、
「鶏を食べてみれば良かった。焼き鳥を食べてみたい」
と言い出したのです。
果たせないと知ってて約束した
「天神橋筋六丁目にとびきり美味しい焼鳥屋があるので退院したら行こ」と私は言いました。
その約束は果たされないだろうと知ってて約束しました。
思えば大人になってからは、父と二人で出かけた事などありませんでした。
そして、やはり検査入院以来一度も退院することなく20年前の今日、父は静かに永遠の眠りにつきました。
成人した息子と約束の焼鳥屋へ
来年、息子が20歳になれば、父と行けなかった天六の焼鳥屋さんに行って、お酒の好きだった父の代わりに二人で飲みながら約束の焼鳥を食べたいと思っています。
父との時間は戻らないけど、息子との時間はまだこれからも紡いでゆけますもんね~!
今日は父の命日。
何年経ったっけ。。。と考えて、わーお!
ちょうど20年やんって気づきました~。
ということは、21回忌なの?
もしかして。
いや、違うな~。
普通法要を行うのは23回忌よね!
まあ、21回忌にせよ23回忌にせよ、うちはもともと法事系をおろそかにする家なのでどちらでもいいのですけどね~。
13回忌の時も母が、
「よう知らん坊さんにお経唱えてもらっても、有り難くも何ともない」
と言うので、法事はせずお墓参りをしただけですませています。
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そんな風に形式的な事を重要視しない父母に育てられた私も、やはり形式的な事は平気でスルーする奴に育ちました。
今日の父の命日も、こうして思い出す事だけしかしないんだな~w
…ということで、ここは一つ、父の好物の『がんぞう』の食べ方でもご紹介したいと思います。
『がんぞう』は
食べる前にシバキ倒す
ご記憶の方もいらっしゃるでしょうか?
去年の11月、北野天満宮に行った帰り衝動買いした干物のことを。
【京都で干物を買って帰った時の記事はこちら】
スルメやらウルメやらと共に、電車の中で臭うん気にしながら持って帰ってきた中に『がんぞう』もあったのですね~♪
『がんぞう』とは、デビラカレイの干物のこと。
あぶって食べるのですが、あぶる前にひと仕事しないといけないんですよ~。
トンカチで全体をしっかりシバキたおす!

こうすると、背骨も全部食べられるんですよね~♪
ご近所に気をつかいながら
シバキ倒す
マンションなので、音が響かないようクッションの上にレンガを乗せて、その上に布を置いてシバキました。
本当は外に出てマンションの敷地内の公園でトントンできたらいいんですけど、最近管理組合がうるさくて「共有財産内(マンションの敷地内の事)で何してるんだ」と言われかねないですからね~。
なにしろ、見てないようで誰が見てるかもしれないのがご近所ってもんですからw
いや、ホントですよ!
昔実家で団地暮らししてた頃、私が夜遊びして帰ってきたのは、ぜ~んぶ近所の誰かに見られてたそうですからね~。
クワバラクワバラ。。。
そんなわけで、室内なのであまり音を立てられないながらもガシガシしばく!
硬い部分は特に念入りにシバキましょう♪

丁寧に叩けば、最初身が硬くそっくり返っていた『がんぞう』↓↓は、

ふにゃふにゃ!
すっかり骨抜きになっちゃいました↓↓

後は軽く炙るだけ。
オーブントースターで焼くことにしたのですが、気付けばモクモク。。。

ちょっと炙りすぎました(^^;

まあいいや。
身をさいて、醤油をタラリ七味をパラリ。

旨味た~っぷりの身でね、酒のアテにいいんだ~♪
マヨつけても美味しい!
あ、イタタ。。。
歯茎に小さい骨が突き刺さっちゃいました(TT)
叩き残しがあったようです。
こんな事がないよう、しっかりシバキましょう!
遺言?は
「もう一度がんぞう食うぞ」
『がんぞう』はご飯に乗せても最高♥

この『がんぞう飯』が好物の父は、20年前『血球貪食症候群』という症状におかされました。
医者からは余命3カ月を宣告されましたが、私達家族はそれを伝えることはできませんでした。
当時はまだ今のような「告知」は一般的ではなかったのですよね。
呼吸吸入機っていうんでしょうか?
一時期それを喉に装着されて喋れなかった頃、病床で書いた父の言葉が遺されています。
筆談用の画用紙にマジックで
「もう一度がんぞう食うぞ!」
と書いてあるのでした。
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『がんぞう』は、父にとっては故郷の懐かしい料理でした。

『がんぞう』を食べたいと言うのが生きる張りとなっていたのだから、さすがは食いしん坊のたき子の父です( ´∀`)
チリメンジャコも好物
もう一つ父の好物のチリメンジャコ。
たき子一応ダイエット中だから、ぽっちりの量のご飯に、

下品な量のシラスをぶっかけちゃうのだ~♪

美味しっ!
シラスも、そろそろシーズンですね~♪
食べさせてあげたかった焼鳥
ところで、さきほど父が病床で「がんぞう食うぞ」と書き遺した話をさせていただきましたが、実はもう一つ食べたがっていた物がありました。
それが焼き鳥です。
父は子どもの頃、農家で鶏を絞めているのを見て以来、鶏肉が食べられなくなったそうで、父が鶏肉を食べる姿を見たことはありませんでした。
それが入院中どういう心境の変化か、
「鶏を食べてみれば良かった。焼き鳥を食べてみたい」
と言い出したのです。
果たせないと知ってて約束した
「天神橋筋六丁目にとびきり美味しい焼鳥屋があるので退院したら行こ」と私は言いました。
その約束は果たされないだろうと知ってて約束しました。
思えば大人になってからは、父と二人で出かけた事などありませんでした。
そして、やはり検査入院以来一度も退院することなく20年前の今日、父は静かに永遠の眠りにつきました。
成人した息子と約束の焼鳥屋へ
来年、息子が20歳になれば、父と行けなかった天六の焼鳥屋さんに行って、お酒の好きだった父の代わりに二人で飲みながら約束の焼鳥を食べたいと思っています。
父との時間は戻らないけど、息子との時間はまだこれからも紡いでゆけますもんね~!