大阪城公園横の小学校に秀吉時代の石垣ギャラリー出現
穴場の名所
こんにちは、たき子です。
各地で桜が見頃を迎えていますね♪
大阪でも、今を盛りと咲き誇る桜に誘われ、いつも以上の賑わいを見せている大阪城公園なのですが、その周辺にあまり知られていない名所ができたのです。
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場所はここ。
大阪城公園の北西に位置する追手門学院小学校の敷地内。
『追手門学院小学校』は、1888年に西日本で最古の私立小学校である『大阪偕行社付属小学校』として発足された小学校です。
0才から保育園、小学校から大学までオール公立畑を歩んできたウチの息子とはまったく縁のない学校です(^^;
つまり、名門の子弟 昔の大阪弁でいうところの「ええしの子ぉ」「ぼんぼん」が通うなん学校なんですよね~!
堺屋太一さんや万城目学さんなども追手門学院小学校出身です。
その、追手門学院小学校、しばらく工事中でしたが、この春ようやく新校舎が完成したようです。
豊臣秀吉時代の石垣
新しい校舎の横を歩いていると、たった2~3段ですが地下に向かう見慣れぬ階段が。。。
何これ?
近づいてみると「おうてもん石垣ギャラリー」の文字が。
はめ込まれたガラス窓には
「豊臣大坂城の石垣を展示しています」
と書かれているではありませんか!
え?あの非公開の石垣が?
覗いてみると、地下室の左手に石垣が見えます。
あれが豊臣時代の石垣なのね!
ガラス越しで反射もして、この曇りガラス越しに見たようなこの画像↑↑でせいいっぱいでした(^^;
わかりづらいのですが、左に石垣があり、その前に椅子が並べられています。
さらに、中はこんな感じらしいです↓↓
追手門学院小学校のホームページより
追手門学院小学校の地下に豊臣時代の石垣があることは知っていたのですが、もちろん見たことはありませんでした。
今回、こんな風に外から誰でも見られるようにするなんて、追手門学院小学校も粋な計らいですね♪
豊臣時代の石垣は地中
さっきから、豊臣時代の石垣と連呼しているのでお気付きかと思いますが、実は現在の大阪城公園の石垣は豊臣秀吉の建てたものではありません。
江戸時代に徳川幕府によって再建されたものです。
豊臣を攻め滅ぼした時、徳川家康は豊臣秀吉の築いた石垣を地中深く「埋めごろされた」のだそうです。
もちろん、天守閣も焼失して再建されていますから、現存する大阪城は丸っきり別物ということになるんですよね。。。
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そんな、いわゆるニセモノの大阪城の中で、発掘された貴重な石垣の一つが追手門学院小学校の石垣というわけなんですよ~。
だけど、石垣はギャラリーはガラス越し。
上から眺めるだけではなく直に見れないの?
小学校に掛け合う?
そんなことしなくても大丈夫!
石垣は、すぐそばにもあるんです。
すぐっていっても離れているんじゃないの?
いえいえ~!
ほんっとすぐです。
ほら、ここ↓↓
今、説明した石垣ギャラリーのすぐ左手、追手門学院小学校の壁沿いに、小学校の壁のような顔をして普通に設置されているんですよ!
しかも剥き出しで、お触り放題です(^w^)
豊臣時代の石垣はここだけじゃありませんよ~。
この周囲、徒歩3分以内に、他にも2ケ所あるんです♪
1つはこれ↓↓
日経新聞社の裏手です。
そして、もう1つはこれ↓↓
ドーンセンターの塀の下。
この3ヶ所については、以前の記事で詳しく書いてありますので、よければ見てみてくださいね(^^)
【『やる気のない石垣・大阪城の穴場名所』の記事はこちら】
場所はこちら↓↓
上の↑↑ピンクの○を拡大したものが下の地図です↓↓
今週末もお花見できます
大阪城公園のお堀では一昨年からトライアスロンが行われるなど、さまざまなスポーツやレジャーが試みられていますが、最近こんな物もみかけました。
カヌー?
外国人観光客らしき男女がオールを漕ぎながらお堀を進んでゆきました。
カメラに納めようと、急いでスマホを取り出してカメラに合わせシャッターを押した瞬間、手元が狂ってスマホが落ちた!
アブナイ、アブナイ((((;゜Д゜)))
もう数10㎝でお堀に落とすところでした。。。
大阪城公園は、今週末はきっとまだ桜が残っているはず。
ぜひ大阪城公園に遊びに来られる時は、貴重な豊臣秀吉時代の石垣群を見て帰ってくださいね!
だれもシャッターを構えるのを見たことない穴場の名所ですよ~♪
こんにちは、たき子です。
各地で桜が見頃を迎えていますね♪
大阪でも、今を盛りと咲き誇る桜に誘われ、いつも以上の賑わいを見せている大阪城公園なのですが、その周辺にあまり知られていない名所ができたのです。
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場所はここ。
大阪城公園の北西に位置する追手門学院小学校の敷地内。
『追手門学院小学校』は、1888年に西日本で最古の私立小学校である『大阪偕行社付属小学校』として発足された小学校です。

0才から保育園、小学校から大学までオール公立畑を歩んできたウチの息子とはまったく縁のない学校です(^^;
つまり、名門の子弟 昔の大阪弁でいうところの「ええしの子ぉ」「ぼんぼん」が通うなん学校なんですよね~!
堺屋太一さんや万城目学さんなども追手門学院小学校出身です。

その、追手門学院小学校、しばらく工事中でしたが、この春ようやく新校舎が完成したようです。
豊臣秀吉時代の石垣
新しい校舎の横を歩いていると、たった2~3段ですが地下に向かう見慣れぬ階段が。。。
何これ?

近づいてみると「おうてもん石垣ギャラリー」の文字が。

はめ込まれたガラス窓には
「豊臣大坂城の石垣を展示しています」
と書かれているではありませんか!

え?あの非公開の石垣が?
覗いてみると、地下室の左手に石垣が見えます。
あれが豊臣時代の石垣なのね!

ガラス越しで反射もして、この曇りガラス越しに見たようなこの画像↑↑でせいいっぱいでした(^^;
わかりづらいのですが、左に石垣があり、その前に椅子が並べられています。
さらに、中はこんな感じらしいです↓↓

追手門学院小学校のホームページより
追手門学院小学校の地下に豊臣時代の石垣があることは知っていたのですが、もちろん見たことはありませんでした。
今回、こんな風に外から誰でも見られるようにするなんて、追手門学院小学校も粋な計らいですね♪

豊臣時代の石垣は地中
さっきから、豊臣時代の石垣と連呼しているのでお気付きかと思いますが、実は現在の大阪城公園の石垣は豊臣秀吉の建てたものではありません。
江戸時代に徳川幕府によって再建されたものです。
豊臣を攻め滅ぼした時、徳川家康は豊臣秀吉の築いた石垣を地中深く「埋めごろされた」のだそうです。
もちろん、天守閣も焼失して再建されていますから、現存する大阪城は丸っきり別物ということになるんですよね。。。
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そんな、いわゆるニセモノの大阪城の中で、発掘された貴重な石垣の一つが追手門学院小学校の石垣というわけなんですよ~。
だけど、石垣はギャラリーはガラス越し。
上から眺めるだけではなく直に見れないの?
小学校に掛け合う?
そんなことしなくても大丈夫!
石垣は、すぐそばにもあるんです。
すぐっていっても離れているんじゃないの?
いえいえ~!
ほんっとすぐです。
ほら、ここ↓↓

今、説明した石垣ギャラリーのすぐ左手、追手門学院小学校の壁沿いに、小学校の壁のような顔をして普通に設置されているんですよ!
しかも剥き出しで、お触り放題です(^w^)
豊臣時代の石垣はここだけじゃありませんよ~。
この周囲、徒歩3分以内に、他にも2ケ所あるんです♪
1つはこれ↓↓

日経新聞社の裏手です。
そして、もう1つはこれ↓↓

ドーンセンターの塀の下。
この3ヶ所については、以前の記事で詳しく書いてありますので、よければ見てみてくださいね(^^)
【『やる気のない石垣・大阪城の穴場名所』の記事はこちら】
場所はこちら↓↓

上の↑↑ピンクの○を拡大したものが下の地図です↓↓

今週末もお花見できます
大阪城公園のお堀では一昨年からトライアスロンが行われるなど、さまざまなスポーツやレジャーが試みられていますが、最近こんな物もみかけました。

カヌー?
外国人観光客らしき男女がオールを漕ぎながらお堀を進んでゆきました。
カメラに納めようと、急いでスマホを取り出してカメラに合わせシャッターを押した瞬間、手元が狂ってスマホが落ちた!

アブナイ、アブナイ((((;゜Д゜)))
もう数10㎝でお堀に落とすところでした。。。

大阪城公園は、今週末はきっとまだ桜が残っているはず。
ぜひ大阪城公園に遊びに来られる時は、貴重な豊臣秀吉時代の石垣群を見て帰ってくださいね!
だれもシャッターを構えるのを見たことない穴場の名所ですよ~♪