おばちゃんDays

調理師たき子によるオオサカのおばちゃんブログ

♦転職DAYS♦ シングルマザーの転職奮闘記 ④

こんにちは、たき子です。

シングルマザーの転職奮闘記④からの続きです。


希望の職場は有期雇用契約?

再び通い始めたハローワーク。
学校の仕事限定(調理以外)で探し、ようやく理想的な職場が見つかりました。

高校の購買部のパートです。

8時半~16時半勤務で土曜は隔週。
もちろん夏休みもありました。
お給料も、これまでの最低賃金よりは若干多く、社会保険にも加入できました。
一年間苦しんだ国保と国民年金から解放され、社会保険に加入できるのは大きなメリットでした。

ところが、うまい話というものはそうそう転がってはいないものですね。

最長3年の有期契約だというのです。

その頃、派遣などの契約期間に関して問題になり始めた頃でした。
長期で継続して雇用する場合、正社員に登用する義務を儲けるか否か…というような議論が行われていました。

その学校でも、かつて正社員にしろと裁判をおこされたことがあるので、今年からはどの部署でも3年以上の契約はしないのだと、やたら口の軽やかな面接官が話してくれました。

社員してほしいわけではないのだと、そう訴えたところで考慮してもらえるはずもありません。

この学校、すぐに規定が変わるからね。3年で雇用終了なんて言ってても、もしかしたら3年後にはまた変わってるかもしれないけどね~。
と、口の軽やかすぎる面接官はあてにならない希望の光トークを繰り出してきます。

3年で首を切られることを覚悟で転職するか、今の低収入を受け入れるか、はたまた全然別の仕事を探すか。

さんざん悩んだ末、私の出した答はこうです。

3年で終わるかもしれないけど転職しよう。
運が良ければ、継続の可能性もあるかもしれないし。

甘いですね。
振り返ってみればみるほど見通しの甘さにため息がでますが、持って生まれた楽天的な性格は簡単に治るものでもありません。ダメ元で踏み出したのです。

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やっぱり雇い止め


3年後、甘く淡い期待はこっぱみじんに打ち砕かれ、キッチリと雇い止めになりました。

ずっとここで働き続けたかったのですが仕方ありませんでした。

雇い止めと知ってて就職したのだから、それについて文句を言うつもりはありません。

けど、3年経てばまた別の人を採用して、また3年で解雇して…。

この学校はずっとそれを繰り返していくのか。
目玉の飛び出るような給料を得ている一部の人達には、従業員の雇用を守ろうなどと言う意識はさらさらもなく。

露骨な使い捨て体質を目の当たりにして、いずれ息子が高校生になっても、この学校には絶対行かせたくないとは思いましたね。
教職員は頑張っている人もたくさんおり、その点では悪い面ばかりでもないとはわかっていましたが。

補足になりますが、この学校は後日、ちょっとした不祥事で世間を騒がせることになります。



方向転換。夏休みのない職場を探す


ともあれ、予定通り? またまた就職活動を始めることとなった私が次に探したのは、夏休みのある学校ではなく民間の職場でした。

小学生になった息子が地元の少年野球チームに入団したのです。

小学生低学年といえども土日は終日練習や試合に明け暮れまともに休みなどありません。
いっちょまえにポジション争いもあり、私に似ずスポ根体質の息子が練習を休みたがらないのは当然のことでした。

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夏休みに1ヶ月ぐらい沖縄で過ごそうという野望はかないませんでした。
夏休みのある仕事にこだわる理由もなくなりました。

それならば、と事務系を探すことにしました。
なぜ事務系かというと、それまで事務系の仕事をしたことがなかったからです。

販売、営業、調理、キーパンチャー、広報など様々な職種を経験してきましたが、事務の経験はなく、私に足りないスキルは事務だと考えたのです。

事務の仕事なら、9時5時で土日休みの職場はたくさんあります。

あるメーカーに入力事務のパートで採用されました。

オフィス街にある高層ビルの最上階に事務所を構えたお洒落な職場で、働いている人もファッショナブル。
若い人が多く活気のある雰囲気で、新しい世界が開けるようにも感じました。

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無視という名のパワハラ


ここで頑張ろう、と意気込んでいた私の前に立ちはだかっていたのは、今度はパワハラというモンスターでした。

私の仕事は、簡単にいうと受注した商品のコードを出荷伝票に打ち換えていく作業でした。
同年代の女性社員の下について、全てその人の指示で仕事を教えてもらうことになりました。

広いフロアには多くの従業員がいましたが、その仕事に携わっている人は彼女と私だけです。

入社したての右も左もわからない状態の私は、その女性社員を頼るしかなかったのですが、そこで仕事の指示以外、完全に無視され続けたのです。

休憩時間に話しかけても何も返ってきません。お昼の時間、皆どこでどんな風にお昼をとるのかなど、最低限のことすらわかりませんでした。

私の何が気に入らなかったのかはわかりません。初日からなので、理由も何もなかったのかもしれません。

無視される位なんだ。力や言葉の暴力じゃないだろうと思う人もいるかもしれませんが、無視とは存在を否定される事です。
何人かのチームで仕事をしていれば風穴もあったのかもしれませんが、二人きりの仕事でその相手に無視され続けるのは、とんでもなく辛い事でした。

声をかけられないので、言葉によるパワハラは少なかったけど多少はありました。
わからない事を質問すると、

「は? 聞こえなかったですか? 耳遠いですか?」

と、たまに口を開くとこんな調子で心ない言葉を突き刺してくるのです。



息子に励ましてもらう


毎日、針のムシロのような状態で、仕事に行くのがあれほど辛かったことはありません。

携帯の録音機能に(当時まだガラケーしかなかったので)

「おかあさん、お仕事頑張ってね」

と息子の励ましの声を入れて、毎朝出勤直前の職場のトイレでそれを聞いて、気持ちを奮い立たせてなんとか出勤しました。

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周囲は遠巻きに同情の目をむけるばかりです。

よく観察すると、女性社員の態度は人によって全く変わることに気付きました。
お気に入りの若い男性社員には猫なで声で接し、気に入らない人にはそっけない。

古株で社内的には発言力もあるようで、みな触らぬ神に祟りなし状態でした。



唯一の救いの手


そんな中、たった一人だけ手を差し伸べてくれた人がいました。

中国人の女性社員でした。

我が道を行くタイプの人で、お昼ご飯に誘ってくれたり、家に招いて
「あの人はおかしいから気にしてはいけない」と励ましてくれました。

よく私の回りでも、中国人だから、韓国人だからと、それだけで偏見を持つ人がいます。
単純に国籍でひとくくりにして排斥しようとする人がいます。

そんな人にこれだけは言いたいです。
国籍とか関係ない。

あの時親切にしてくれたのは彼女だけだった。
たくさんいた日本人は皆見てみぬふりをしていた。

日本人にも中国人にも、韓国人やアメリカ人にも、どの国の人にも同じように、勇気のある人もいるし、卑怯な人もいるのだと。

その中国人の女性には、何年も経った今もずっと感謝しています。



逃げるは恥ではない


その女性のおかげもあり、なんとか頑張ろうと思いながら仕事を続けました。
そしてしばらく経った頃、面接時の入事担当から呼ばれました。

「○○さんの事、大変だと思うけどどう?」

○○さんはクセがあるから、あなたの事はずっと気になっていた。
あなたなら若い人にはない人生経験があるから耐えられるかもと思って採用した。

そのような事を言われました。

 わかってて採用したんだ
 知ってて放置したんだ


ずっと張り詰めていた気持ちの糸が切れ、人事の女性の前で小1時間もの間、泣き続けました。
涙腺がおかしくなったのかと思うほど、涙が止まりませんでした。

彼氏でも家族でも友人でもない人の前であんなに泣いたのは初めてでした。

若くなくたって、人生経験があったって、悪意の刃を受ければ血は流れます。

「転職しよう。このままではハゲる」


結局、最後まで上司である女性社員から雑談のひとつもかけてもらったことはありません。

退職の日、退社時間に彼女の姿はありませんでした。
わざと会わないように避けたのだと思います。
お世話になりました、と心にもないことを言わずにすんで助かりました。

「逃げるのは恥だが役にたつ」

昨年ブームがおこり、私もはまったドラマですが、学校や職場のイジメやパワハラでは、この言葉は違うと思います。

「逃げるのは恥でない」

そう思います。
必要以上のストレスにさらされ、それを回避できない時は逃げていいのだと思います。
逃げていいのだと、まだ判断できる精神状態のうちに逃げたほうがいい時もあります。

もう無理だ、そう思ったら迷わず逃げていいんです。

そしてまた何度目かの転職をすることになりましたが、この先もまだまだ試練は続くのでした。


『シングルマザーの転職奮闘記』⑤へ続く

⑤『地元メーカー』『個人経営レストラン』2ヶ月連続リストラ


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