おばちゃんDays

調理師たき子によるオオサカのおばちゃんブログ

『ユリゴコロ』イヤミスを超えた沼田まほかる渾身の傑作

名前も作品も個性的
 ・沼田まほかる


こんにちは、たき子です。

沼田まほかる

この個性的な名前(本名?ペンネーム?)と同じぐらい作風も個性的(なおかつ作者の経歴も個性的)なのですが、一番最初に沼田まほかるの作品「彼女がその名を知らない鳥たち」を読んだ時には、その魅力は私には理解できないものでした。

台風の前の、たっぷり湿り気を含んだ空気のような、じとじとした不快感だけが残ったからです。

そんな私が再び沼田まほかる作品『ユリゴコロ』読んでみようという気になったのは数年前。
本の帯にある“本屋大賞ノミネート作品”という文字に興味を持ったからでした。



彼女がその名を…」の経験があり、斜に構えていた私は、読みはじめてすぐに、いい意味で裏切られた思いがしました。

  父には三日前に会ったばかりだったが、また寄ってみることにしたのだった  

冒頭のこの一文。
最小限の言葉で最大限の状況を説明しているこの文章で、私は早くもこの作品に引き込まれていました。

“父”は近くに住んでいる?
父から会いに来るのではなく、自分が父に会いに行くと言っているところからすると、父には健康上の問題があるのかもしれない。
それとも自分の家に来てもらいづらい理由があるのかも。
いずれにせよ、この父子は、毎日会うほどの関係性ではなさそう。
それなのに時をおかずしてまた会いにいく。
いったい何があったのか。

冒頭の一文で、ざっとこれだけの推測ができます。

 上手いなあ。
 こんなに上手い文章を書く人だったんだ。

物語は、最初からモヤモヤした感じでスタートするのですが、主人公の青年がノートを発見するあたりで、モヤモヤが心臓がバクバクするような不安に変わり、いつの間にか青年が感じる疑惑と不安に同化してしまいます。

本のタイトル『ユリゴコロ』という言葉も、まるで意味がわからないまま随所に出てくるし、要所要所に差し込まれる「でも、もうだいじょうぶ」という言葉が、「だいじょうぶ」という意味とは裏腹に一層不安をあおるのです。

この不安から早く解放されたいという思いと、早く次のページを読みたくてもどかしい思いで、一気読みしてしまいました。


『ユリゴコロ』の意味は?


ネタバレになるので、ストーリーや核心には触れませんが、タイトルにもなっている『ユリゴコロ』について少しだけ思うところを書いてみたいと思います。

ユリゴコロ』の言葉の意味に関しては、映画の宣伝にも書かれているので問題ないかと思いますが、もしも知りたくない方は、この先を読まないで下さいね。





ユリゴコロ』とは「よりどころ」の事を意味します。

けれど、当初私にはしっくりきませんでした。
よりどころ」にこだわる理由が理解できなかったんです。
よりどころって、そんなに大切なことなの?と思っていました。


“よりどころ”がやっと理解できた

そんなある日、私は、子どもを持つ人生と持たない人生について漠然と考えていました。

私にとっての、子どもを持つ人生  

自分のために使えるお金も時間も劇的に減りました。
子どもを産むために仕事を辞めなければならなかったため、単純に生涯賃金だけを考えても、数千万円の違いがあったと思います。

もちろん、お金の問題だけではありません。
仕事のキャリアや人間関係その他、失う物が大きかった出産&育児です。
さまざまな物を捨てて選んだ子どもを持つ人生で私は何を得たのか?

一言で言うと、それは、人生の絶対的な存在、というものなのだと思っています。
何があっても一番大切だと、何の躊躇もなく言い切れる存在。
自分自身より大事な唯一の存在。



子どもを持つことにより、それまで私が抱えていた正体のない不安は、いつの間にか消えていました。
老後の不安がなくなるとか、そういった物理的なことではなく、いわば心の支えです。

今後、息子が一人立ちして私の元を離れ、また一人になっても、私は大丈夫。
息子がこの世に生きているだけで、私には心のよりどころがあるから。

そんな事を考えていて突然わかりました。
今、私思った、大丈夫って。
こういうことなんだ、「よりどころ」って。

ユリゴコロとはこれの事か、と突然におちました。
そして、はじめて「よりどころ」の有る無しが精神的な安定に大きく影響することを理解したのです。

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もうこれはイヤミスではない

沼田まほかるは、イヤミス(嫌な読後感のするミステリーのこと)の旗手と言われていますが、「彼女がその名を知らない鳥たち」「九月が永遠に続けば」などとは違い、この作品は後半になるにつれ、イヤミスの要素は薄れてきます。



確かにミステリーなのだけど、途中から誰が犯人かは重要ではなくなってきました。
そんな事は忘れて読んでいました。

この先どうなるんだろう、その思いだけでじれったく、ページをめくる指がもどかしく、主人公と共にラストの真相へとなだれこみました。

真相が明らかになったとき感じたのは、驚きよりも苦しいほどの、ある意味、究極の愛情だったのです。


映画『ユリゴコロ』を観るにあたり
よけいな心配をしています

来週、映画『ユリゴコロ』が封切りになります。
この作品がどんな風に映像化されるのか、久しぶりに映画館へ足を運んでみようと思います。

願わくば映画が、この、沼田まほかる渾身の傑作の読後感を損なうことのないよう、願うばかりです。

それにしても、“彼女”役が吉高由里子とは。
いえ、吉高由里子は好きだし、役にも合っていると思っているんですよ。

ただ、吉高由里子といえば、保険のコマーシャルで「でも大丈夫!」とニッコリするイメージが強くて、原作の中の「でも、もうだいじょうぶ」の台詞をもし映画でそのまま使ったら、なんかもう、そうなるとお笑い系やん!とちょっとね、思っただけなんです(笑)。

原作を読んで映画を見に行こうとしている人、そんな心配したりしませんか?
しないか…やはりそんなアホな心配。



ユリゴコロ (双葉文庫) [ 沼田まほかる ]



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